東日本の大震災の地震と津波はまさに天災であった。人類の営為が無意味であるかのようにとてつもない災害が東日本に集中した。亡くなられた方に衷心からお悔やみ申し上げるとともに、いままだ行方不明の方たちにはどこかで生存しておられることを一縷の望みをもって祈るばかりだ。また、家族を亡くされ、家屋を流され、倒壊されて住むところもなく避難先に身を寄せる被災者の皆さんに対しては、救援・支援の気持ちとともにその心情を想うと心が折れんばかりだ。私にできることは、空き家となっている旧家を避難住居として提供するぐらいだ。九死に一生をえた恩師、いまだに連絡のとれない友人、別の友人の妻の実家は二軒とも津波で流されてしまった。心に決めたことをやり終えるまでと、私は重い気持ちを下から起こし、折れそうな心をなんとかつなぎとめて、今日も歩いていかなければならない。
しかし、それにしても福島第1原子力発電所のあの重大(過酷)事故は何だ。どんな自然災害にも耐えうる完璧な安全防御を施してある安全でクリーンな発電装置だと豪語してきた政府・東電(電力会社)・御用学者たちの罪はどうなるのか。この人災を購うことは果たしてできるのだろうか。天災で壊され、流され、人災で放射能汚染された人、海、大気、土壌をどう元に戻してくれるのか。重大事故は「絶対に」起きないし、「放射能が有意に自然界に放出されることはない」としてきた人たちは、この事故によって地球上の人たちから告発されていることをどう受け止めているのか。
日本政府、電力会社、学者たちが、地球汚染の犯罪者として世界から告発されることも十分にありうるのではないか。

0 件のコメント:
コメントを投稿