過去 1 週間のページビュー

2024年4月27日土曜日

4月26日、如し我れを用うる者あらば、吾れは夫れ東周を為さんか。(論語巻第九陽貨第十七篇第五章第六節)

  今日は4月26日、金曜日です。4月7日に古川壬生氏が亡くなりました。それを知ったのが9日でした。11日にお悔みに行き、亡骸をみてきました。12日の葬儀に自動車事故により出席できなかったため、13日に自宅へ香典を持っていきました。夜に青葉工業会の役員会から戻って、北の街社の斎藤さんに北狄作品集のことで電話しました。その斎藤さんが14日になくなったとのこと、その知らせがあったのは16日の火曜日でした。月曜日に届くはずの作品集の校正刷りが届かないので、連絡しようと思っていたところでした。それからが大変でした。20日に青森ペンクラブの総会があるので、事務局長の斎藤さんから会計資料とともに監査を行う予定だったので、それもできない状況でした。総会は延期できないので、事務局長の突然の逝去を報告する中でとりあえず実施し、今後について会員の意見を聴取することになりました。そうかいまでに、会誌の『北の邊』の発行配布と2024年度の会費を徴収することにしました。事務局の私は17日に「北の邊」を若葉孔版に110冊受領に行き、それを総会会場のアラスカ会館に預けました。17日は「ぽ」の合評句会、夕方は三月議会の小熊議員と吉川氏の反省会もあり、心身ともに疲れました。18日は残務整理し、19日は河口の句会でした。そして、20日は午前中日中友好協会のアドバイザー会議があり、昼は、工藤内科クリニックでの定期健診、終わってすぐ、青ペンの総会でした。2時から総会前の役員会で、この間の事情を話し、総会の暫定開催の了解をとり、会費の徴収と会誌の配布集金を行い、懇親会費もいただくことにしました。コンゴの事については、総会で会員の意見を聴取して、存続か否かを決めることというくたしました。私が、事務局として青森ペンクラブの事務を引き継ぐことになりました。21日は川柳の春の大会、22日は斎藤さんの弘前での葬儀に佐々木英明君とともに参列しました。ファミエール松森で福士正一氏ご合流し、ブルーノートで偲ぶ会を行いました。6時からは嘉一で市民の会の花見の会でした。23日はむさし教室。夜は、あがさ枚ででデジカメ写真の坂本・脇谷との会合。24日は佐井村出張。民宿宮野に宿泊。25日は一艘川柳教室。26日は朝九時、市の総務部長を表敬訪問(小熊議員と)。昼、竹内真理姉妹、藤川夫婦、と6人で会食。輝代からセイコーの腕時計プレゼントされる。駅カフェで珈琲。5時半から広瀬さんと「やきとり大久」で会食。

 今日の論語は、「如し我れを用うる者あらば、吾れは夫れ東周を為さんか。(論語巻第九陽貨第十七篇第五章第六節)」です。

 如有用我者,吾其爲東周乎,  孔子がいいます、「もしだれかわたくしを用いてくれる人がいるなら、わたしはま東の周を興こすのだがね」と。

 

 

0 件のコメント: