過去 1 週間のページビュー

2017年2月9日木曜日

2月9日、何ぞ仁を事とせん、必らずや聖か

 今日はとても気持ちよく午前1時半過ぎに目覚めました。ゆったりとした気持ちで2時には起きることができました。8時半に眠ったためです。まず、階下の自室でプルトニウムについて日課の勉強(プルトニウム被曝)をやり、二階の書斎にうつりこれから論語、魯迅、子規の日課に入ります。
 今日も10時過ぎには新町事務所へ、弁当と珈琲持参で出かけます。

 今日の論語一日一章は、論語巻第三雍也第六篇30章です。
 子贡曰,如能博施於民,而能济众者,何如,可谓仁乎,子曰,何事於仁,必也圣乎,尧舜其 犹病诸,夫仁者己欲立人,己欲达而 达人,能近取譬,可谓仁之方已,
 Zi gòng yuē, rú néng bó shī wū mín, ér néng jì zhòng zhě, hérú, kěwèi rén hu, zǐ yuē, héshì wū rén, bì yě shèng hu, yáoshùn qí yóu bìng zhū, fu rénzhě jǐ yù lì rén, jǐ yù dá ér dá rén, néng jìn qǔ pì, kěwèi rénzhī fāng yǐ,
 子貢が曰わく、如し能く博く民に施して能く衆を済わば、何如。仁と謂うべきか。子曰わく、何ぞ仁を事とせん。必ずや聖か。堯舜も其れ猶お諸れを病めり。夫れ仁者は己れ立たんと欲して人を立て、己れ達せんと欲して人を達す。能く近く取りて譬う。仁の方と謂うべきのみ。
 子貢が「もし人民にひろく施しができて多くの人が救えるというのなら、いかがでしょう、仁といえますか」と言った。孔子はいわれた、「どうして、仁どころのことだろう、強いていえば聖だね。堯や舜でさえ、なおそれを悩みとされた。そもそも仁の人は、自分が立ちたいと思えば、人を立たせてやり、自分が行きつきたいと思えば人をいきつかせてやって、他人のことでも自分の身近かにひきくらべることができる、そういうのが仁のてだてだといえるだろう。」と。

0 件のコメント: