6月も23日となりました。今日が6月二度目の川柳教室の日です。小説の勉強のために感性を磨こうと続けているのですが、生来の不粋さが災いし、一向に芽がでません。しかし、今年こそ皆勤賞をもらうべく、むさし師匠の勤勉さに学ぶ気持でいます。
魯迅は、「急いては言葉を選ばない」という言い訳は、考える暇がないことではなく、暇があっても考えないことが原因なのだといっています。漱石も、『吾輩は猫である』の中で、主人公の苦沙味先生が、暇をみつけては考え事をしている様子を描いています。考えに考え抜いたことを文章に遺すことは、急がずに言葉を選ぶことなのでしょう。また、魯迅は、今何が必要かを問わなくてもいいが、今何が自分にできるかを問うべきだ、ともいっています。今、自分にできることを、自分に問い、よく考え、考え抜いたことを文章にして遺す、これこそわが道なのだと思います。
孔子は、聖と仁は自分にはそなわっていないが、ただその道を進むことを厭うたこともないし、人にその道を進むことを教えることにも厭きたことがないだけだ、といっています。漱石は西洋のものの考え方と合理主義、功利主義に疑問を呈し、東洋の精神の恭謙さに共鳴しています。同じ批判精神でも西洋と東洋ではその方法論が違います。日本人には、東洋のものの考え方があっているように思います。カバの書く文章に、そのあたりが滲みでてくるようになれば、幸いなのですが。

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