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2014年12月10日水曜日

水を読む

『水ー自然と人間』(J.S.コリス著)を読む。



 霰(あられ)や雹(ひょう)は、雨の凍ったものだが、雪はそうではない。雪の起源は、どん形の雨ともかかわりがない。雪の誕生は、非常に美しい。この世でこれほど奥深い神秘を目の当りにすることはまたとあるまい。神は、ヨブに、お前は、「雪の倉に入ったことがあるか」とたずねた。ヨブは黙っていた。それから世紀に世紀を重ねて今日になってもまだ、たいがいの人は、そうしたことのすべてについてそうであるように、そのことについてもなにもいえない。いうとしても、いや、雪の倉に入ったことはありません。そこがどうなっているのか、それを想像し、そこに書かれている文字を読み取ろうとする興味もないし、力もないし、熱情もないのです、ぐらいのことだ。いつまでもそんなことで恥をさらすことはない。ひとつやってみよう。今こそは雪の倉にはいれるかどうか、やってみよう。
 空気は、水蒸気の分子に満ち満ちている。大気のふつうの分子はいっしょにならない。空気の中を、そうした数百万の分子がウジャウジャと自由に動きまわっている。

 ところが、温度が水が凍りつくほどまで下がってくると、水蒸気分子の運動は遅くなって、互いに引きつけ合う力、つまり磁力が、分子を寄り集まらせ、それは目に見えるようになる。わたしたちが見るのは、氷でつくられた結晶なのだ。ここでもやはり、ひとつひとつの粒子にある引きつける点とはねつける点とは、それぞれ正確にきまった引きつけ引き離す力を及ぼして、不思議な対称性をもったこの上なく微妙な形をつくり上げる。それは空に咲く花である。わたしたちは、それを雪と呼ぶ。
 こうして結晶はつくられるのだが、その建築物には、もうひとつ注目されることがある。結晶には、それが成長する足場、つまり物質を支える土台がなければならない。空気の中の埃がその土台になる。そうは思えないかもしれないが、空気中には、とほうもない量のほこりが浮かんでいるのだ。花粉、バクテリア、胞子、火山灰など陸のほこりがあるだけでなく、海のほこりがあり、地球外の空間から一日に二千トンの割合で落下するといわれる宇宙のほこりがある。そうしたほこりは、ふだんは気づかないけれども、日差しの中に入ると、この上なくはっきりと見えてくる。
 空気中にうかぶほこりが、必ずしも都会のせいとはかぎらないことを得心しようと思えば、空の半分が雲に覆われ、その間から斜めに日が差しているような日に、郊外へ出かけてみるみるだけでいい。その日差しは、空中に浮かぶほこりに反射して、わたしたちの目には、まわりよりもずっと明るい太い光の棒になって見える。輝く雲間から、その光の棒は、サーチライトをさかさまに照らしたように地上に突きささり、ときには、まるでなにかを探しているかのように、野面を動きまわる。
 この空中に浮かぶ細かなほこりという土台の上に、ちっぽけな氷の円盤または針がつくりつけられ――さらにその上に、仕上がった結晶が姿を現わす。その仕事ぶりを見ることは、わたしたちにはできない。想像してみることはできるだろうか。「想像してみよう」とティンダルはいった。「われわれの目に、この星のような結晶を組み立てている分子が見えるほどの顕微鏡のような視力が恵まれているとすれば、空気の中でつくられてそのまま浮いている固い核が見え、それが仲間のアトムを引き寄せて、あたかも音楽に合わせるように動きまわりながら結晶を組み立てていき、その音楽を凝縮させたかのように仕上げるのが観察されるだろう」。この凝縮した作品は、その幾何学的なデザインの芸術的な効果という点で、まったく信じられないほどすばらしい。

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