今日は6時前に起き、新聞を読んで、七時に町会回り、土曜日とあって通学の小学生はいない。中学生が部活の道具をもって学校へ急いでいる。天気があがっているのに、犬の散歩とウォーキングの人が数人、「お早うございます」の挨拶にも慣れた。15分で戻り、朝ドラのあと、浪館の踏み切りへ。8時5分街宣開始。40分に終了。焼き鳥屋のマスターが通りがかり、にっこり笑っていく。ご婦人たちはそうじてちゃんと挨拶して通り過ぎてくれる。
朝刊に太宰治の娘の作家津島佑子の随想「セミの嘆き」が載っていた。とてもいい文章なので、すこし紹介する。
「・・・人間が生き延びていくための知恵は、じつは自然界に秘められている。じっと自然界に耳を傾ければ、必ずその知恵を見つけることができる。こうした考えは、世界中で「先住民」と呼ばれるひとたちに共通した発想でもあるし、本来、人間たちは厳しい自然のなかで、そのようにして生きてきたはずなのだった。3年前の大地震と原発事故を経験して、少なくともこの日本列島に住む私たちは、近代文明と呼ばれるものの限界をはっきりと見届けてしまったのかもしれない。地球上に生きる人間として、最も大切なものは何だったのか。そのように思い悩む私たちのまわりにはきがつけば、鳥やセミが鳴き、花が咲き、木の枝が揺れ、なにか重要なことを私たちに伝えようとしている」そういえば、地中に眠るウランはおそろしい魔物だから決して目覚めさせてはならない、と長い間、伝えてきたのもアメリカのナバホ族、そしてオーストラリアのアボリジニという「先住民」たちなのだった。これまで「科学の発展」に翻弄されてきた私たちは、今、自然界の声にじっと耳を澄ませ、生きるための知恵を謙虚に受けとめるべきときを迎えているにちがいない。」

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