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2013年7月17日水曜日

指導者の資格

 今日は7月17日水曜日です。天気はいいですが、昨夜は高校野球の応援でわざわざ八戸まで応援に行ったのに、12対13で八戸西校に敗北したショックから恢復できず、悔しくてよく眠れませんでした。序盤の2回終了時には9対2でリードしていたのに、エースは4回途中降板し、二番手も2本もホームランを打たれるなど、投手陣が踏ん張れずについに8回表に2点とられ逆転され、最後は9回裏ツーアウト満塁の一打サヨナラという絶好のチャンスにも途中出場の5番バッターが三振して万事休すでした。まったく、考えられない、信じられない、疲労困憊の末の敗北でした。
 この試合、プレーボールから試合終了までスタンドで観戦してみて感じました。それは、里村監督が青高野球部の生徒たちを信じていたのか、疑わしく思える采配がいくつかみられました。ふがいのない3年生のエースを信じて、叱咤激励しながらも、最後の最後まで自分の手で育て上げるという姿勢が感じられませんでした。生徒たちに、「試合に勝つということは、己に克つことだ」と信じさせる熱情が感じられませんでした。それは、里村監督が教育者として、そして何より野球指導者として、まだまだ未熟だったからではないでしょうか。生徒たちから尊敬され、絶対の信頼をおかれていない監督ほどみじめなものはありません。絶対に勝てる、勝たなければならない試合を落とすようでは、この先、何年青高で野球部の監督をやっても駄目なのではないか、と思ってしまいました。里村監督は高校時代、小さな大投手といわれ、キャプテンだったカバの長男とはチームメイトだったのです。そして、現役時代に果たせなかった甲子園を母校の監督として実現すべく教師となって青高の監督となったのでした。いまのチームは有望な選手も多く、今年こそはチャンスだと思って期待していただけに、3回戦での敗北は残念で仕方ありません。しかも、先年亡くなった里村君のお父さんとは、生前に甲子園へ一緒に応援に行こうとの約束もあったからです。
 野球部の生徒たちに野球を教えると言うことは、単に技術的なことより、ひとりのミスを皆でカバーし合うことを教えることが大切で、そのチームワークを教える指導者はまず自ら率先して生徒から信頼される人間でなければなりません。それには監督の普段の生活態度、人間性が全てなのです。たとえ練習試合といえど、試合中にダッグアウトから離れて、喫煙するなどもってのほかです。そのわずかの時間でも選手たちは、そんな監督をどう思うのでしょうか。3時間半を超える昨日の試合で、里村監督は万全の集中力を切らすことなく、試合の推移を的確に予測し、生徒一人一人の性格・能力・技術のすべてを把握し、その力を引き出すように最善をつくしたのでしょうか。
 負けなくてもよい試合を負けたことの屈辱を晴らすには、一から出直す覚悟で、監督と選手の信頼関係をどうつくるのかが大切だと痛感しました。県立高校、それも進学校が甲子園をめざし、それを実現するためには、孔子が曰うように、指導者である監督が如何に教え子である生徒から信頼され、尊敬される存在でなければならないか、よくわかったのでした。監督こそ、求道者でなければならないのです。
 里村監督には、昨日の試合を教訓として、敗北の理由を選手に転嫁するのではなく、全て自分の責任だと反省し、日々自ら精進して、次なる機会に臨んでほしいと思います。生徒と一緒にいるときは、練習中でも、試合のときでも、教育者としても指導者としても、飲酒喫煙は絶対に駄目です。それは野球の勝ち負け以前の問題です。それが昨日のみじめな敗北の最大の原因でした。

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