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2013年4月4日木曜日

自らを「気ちがい野郎」として詩を書く杜甫

 昨日の、杜甫「草堂が出来て」に登場し、「白だ黒だとからかわれた」というかの楊雄(前58~後18)は、字は子雲といい、蜀の成都の人。楊雄は漢代の文学者で、哀帝の時に家にとじこもり、『太玄教』を書いたところ、人がその文章の名の玄(くろいという意がある)をとりあげ、髪の毛がまだ白いではないかと嘲ったことがあった。楊雄はさっそく「解嘲」という文を草したという。また、楊雄の故宅は草玄堂といい、成都少城(西域)の西南角にあったとされる。
 このように嘲(からかう)ことに対して、毅然と受けて立つ気風、文化があるようで、魯迅も文章家が世事や政治文化について書く時、風刺は可とするも、冷嘲は駄目だとしている。

 

 杜甫 「気ちがい野郎」

万里橋の西に一つの草堂がある
百花潭の水は青々と私の滄浪の水なのだ
風をふくむと緑の竹は ますます すがすがしくうつくしい
雨の中で 紅い蓮の花は ひとつひとつ 香しい
出世した友人からは手紙が来ない
いつも腹をすかしている幼児の顔色があわれだ
のたれ死にをしてしまいそうだが 私は気ままにやっている
「気ちがい野郎 年とって ますますひどくなった」と自分で自分をあざけるのだ

註;原題「狂夫」。前の詩と同じ頃、成都での作。
万里橋;今の四川省華陽県の南にある橋の名。成都少城の西南、錦江にかかり、三国蜀の時代に費禕が呉に使いする時、丞相の諸葛亮(孔明)がこれを見送ったところ。費禕が万里の行もこの橋に始まるといったことから名づけられた。
百花潭;則ち浣花渓のこと。滄浪の水とは、『孟子』に「滄浪の水清まば、以て吾が纓を濯ふべし。滄浪の水濁らば、以て吾が足を濯ふ可し」とある。

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