去年の8月4日と5日に飯舘村へ原発震災の被災地調査に行った。青森を出発し、高速道路を八戸から南下していった。飯舘村に入ると、線量計は自然放射能の300倍の数値になり、ホットスポットでは3000倍から5000倍にまで達した。
4日、伊達市の避難所で1年半に及ぶ原発爆発から避難決定までと避難所生活を説明してくれた酪農を営んでいた長谷川健一さんの話を聞き、村内を案内してもらい、さらに彼がこの間、撮ってきた1万点に及ぶ写真の中から、幾つか見せてもらったのがきっかけで、東京の友人たちが「写真展飯舘村」を企画した。
その企画は実行委員会となり、そのメンバーの一人にカバもなった。そして、2013年1月11日から14日まで、東京新宿のスペースゼロでこけらおとしの写真展が行われた。この催しは反響を呼び、全国に広まろうとしていた。
首都圏以外で唯一の委員であるカバは、青森でも写真展をやらねばならなくなった。後押ししたのは、長谷川さんの「私たちの悲しい、苦しい、しかも家族別れ別れになり、故郷に帰れないかもしれないという不安をいだきながら、この1年半の長い日々を、しかもこれからいつまで続くかしれない状況に置かれている現実を、六ヶ所村や東通をかかえる青森のひとに知ってもらいたい」という言葉だった。
たった一人で始めた「写真展飯舘村」の企図だったが、核燃阻止1万人原告団や古村一雄事務所の協力のもと、核燃いらない青森市民の会や数多くの友人知人に支えられ、赤字をだすことなく写真展を無事終えて、つぎの写真展(三重県津市で開催)へとつなげることができた。
青森での写真展は、わたしが代表をつとめる原子力防災研究所の初めての仕事ともなった。六ヶ所村をはじめとする本県内の原子力施設において、万万が一にも事故が起こってはならないが、福島原発事故を教訓に、いかに早く、遠く、逃げるかの準備をしなければならないと痛感しているからだ。事業者、国、県、立地市町村が過酷事故のときいかにあてにならないか、3・11ではっきりしたからだ。原子力施設が存在する限り、原子力防災は絶対に必要だからだ。

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