魯迅は、道徳について語っています。道徳は、誰もが行うべきで、誰もが行うことができるものだから、つまり普遍的でなければならず、しかも自他のためになってはじめて、存在価値がうまれるものである、と。
また自分の子についても語っています。子どもが生まれたら、いかに教育して、その子どもを将来、一人の完全な人間に育てられるのか、考えるものだと。その生まれてきたわが子は、私にして私でない存在であり、肉体的には分かれて存在するので、わが子も人類のなかの一人でもある、と。一方、私であるからの部分としては、教育的義務を課し、自立する能力を与えなければならない。私でないからとしては、吾が子を解放して、すべて彼ら自身に任せて、一人の独立した人間にしてあげなければならない、と。
一方、孔子は論語の第4篇「里仁第四」で、次のように語っています。まず、君子は心の徳が有るのを知っていて、最高の善に到達しようとするのに対し、小人は心身の安楽なところを思うあまり、それに溺れる危険性があるとしています。さらに、君子は刑(憲法)の畏るべきことを思って、自らその身を守ることにつとめるが、一方、小人は利の欲すべきところをみてこれを貪る、と言っています。また、12章では、もし何事も利によって行えば、人を害することが多いから、人から怨みを受けることが多い、としています。つまり、現代でも、己の利益ばかりを考えて、他人の利益を尊重しないことで、怨みを受けることが多いのは、今の世間にもたくさんいます。また、孔子は、「名前や地位を得ることを求めず、名前や地位が得られる実質が具わるまで自己の研鑽を積むべきことを教えています。今の世間では、人に見せるために、地位を得ることのために学問をするのが一般の風習となっていますが、現代人への警鐘としても、論語を読むjことができます。

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