ニューヨークに9日間居てみて、驚いたことは、ダウンタウンでも、空港でも、地下鉄でも、そして郊外の住宅地でも、刺青をした人を見かけたことだ。ニューヨーカーにとっても、ニューヨークに集まってくる人にとっても、タトゥーはもはやファッションなのだ。だれも隠さない。タトゥーをまるで化粧のように露出している。
大リーグやNBA、NFLを見ても、有名選手で腕や足、首などの目につくところに刺青を入れている選手を多く見かける。それだけ当たり前なのだ。ファッションだから、本人の意思と自覚の問題であり、それをよしとするか、否かは相手が判断すればいいことではないかと思う。好悪の感情をおしつけるのはいかがなものか。それが公務員でもあれである。ひと目につかないところに入墨があったとして、それが公衆に不快感を与えるからとして禁ずるということと、入墨の有無を自己申告させる調査を行うなど、まさに表現の自由無私の人権蹂躙ではないか。それとともに、公務員の入墨が駄目だということであれば、公務職場を民営化し、そこの職場の人間であれば入墨は構わないということにもなる。これこそ、公務員と非公務員との逆差別の現れではないのか。
大阪の市長はまさに化粧・ファッションの自由を無視する、想像性の欠如したファシストだということになる。次にあるのは、人種差別をあおる大衆誘導にでてくるはずだ。そこまで大阪は疲弊し、追い込まれているということになる。韓国系、中国系、インド系、東南アジア系の人たちに対する人種差別の政策を打ち出すに違いない。
ニューヨークで入墨をした人たちの姿にだれもおどおどしたところがなかったのと、それを見る人も特別な感情を抱く様子もみえないことに、自由とは何か、ほんとうに考えさせられたのでした。入墨をいれるかいれないか、はあくまでも本人の意思と自由に任せるべきではないか、と感じたのだった。

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