カバは科学者になろうとしたが、やめて生活人として青森で暮らして38年になろうとしている。いま、福島原発事故で科学者の責任が問われている。いわゆる電力・経産省・学者という「原子力ムラ」という存在と、そこに君臨していた科学者たちの存在が問題とされている。かつて、同じ学窓で学んでいて、いまもずうっと学者として研究を続けながら、その信念ゆえにいまだに助教という職名で頑張っている小出さんのような人もいれば、東大工学部原子力工学科(いまはシステム量子工学科に改名)を経て、原子力ムラで聖人君子面をしている盗賊(魯迅が盗賊だから騙されるなと言っている)もいるのだ。
原子力ムラの相関図によれば、経産省資源エネルギー庁の所管になる、原子力政策推進の総合エネルギー調査会の原子力部会の36人の委員の中には電事連など産業界の他に学者として田中知東大教授が入っている。一方内閣府には、原子力推進の原子力委員会の委員長に近藤駿介(元東大教授)、規制の側の原子力安全委員会の委員長に斑目春樹(前東大教授)がなっているのだ。この三人の教授たちが原子力ムラに群がっている科学者の頂点に立っている。田中教授ときたら、青森県の規制や安全検証の委員会の委員まで務めている。
原子核分裂の理論研究はともかく、原子力の工学的研究は果たして必要なのだろうか。ノーベル賞の学者や弘前出身のはやぶさで有名になった宇宙航空学者が、エネルギーの必要性の観点から原子力エネルギーの利用と研究に理解ある姿勢を示していることに、カバは学者の良心なき姿勢に怒りを感ずるとともに、一度でも推進の側に立って承認を与えた学者の呵責と開き直りを感じてしまう。
たしかにプルトニウムは原爆の爆薬であるとともに、宇宙空間での電池燃料として利用されているのはわかる。しかし、今や原子力発電の工学的研究の意味はあるのだろうか。すでに原発の時代はおわり、これからは廃炉の研究と放射性廃棄物の処分の研究しかないとカバは思う。あるとすれば、大量破壊兵器としての核兵器への転用以外にないと思う。半減期8日のヨウ素131が大量に福島第一原発から放出され、兵器級ではないにせよ、純度80%のプルトニウム(半減期2万4千年)までもオフサイトに放出されているのだ。推進の前に、どうしたら放射能を取り除けるのか、子どもたちが大地で安心して遊べるような除染ができるのか、そうした研究がなされるべきではないのか。プルトニウム、セシウム、ヨウ素などの核分裂性の放射性物質がいったいどれくらいまき散らされ、それを人間や動植物、さらに土壌、地下水、海水に放出されたのだろうか。
そうしたことを想うと、二人の孫に顔向けできないような気がするカバなのだ。

0 件のコメント:
コメントを投稿